はまちゃんが、のんちゃんと出会うまでの、ながいながいおはなし。
むかし、むかし、松竹座からとおく離れた山の奥に、はまちゃんが住んでいました。
はまちゃんはお仕事のたびに、エンヤコラ、エンヤコラと、電車に乗って松竹座やテレビ局などにやってきました。
「おや、今回もはまちゃんはいい役をもらったんだね」
「おやおや、今回もはまちゃんはたくさん歌うんだね」
ほんわか笑顔のはまちゃんを見て、周りの関西Jr.のメンバーやファンたちはそんなことをひそひそとささやきました。
そうです、はまちゃんは関西Jr.の中でもなかなかいいポジションに立っていたのです。
ある日大阪にやってきたじゃにーさんが、ほんの気まぐれではまちゃんをまんなかにしてみたときに、くるくる回りながら澄んだ高い声でお歌をうたってみせたことで、はまちゃんは前列に立つことができるようになったのです。
子供のころに山の奥で元気にかけ回っていたからダンスがとくいで、木々の間で大声をはり上げていたからお歌がじょうずだったのかもしれません。
「これはきっと、しょうらい大阪からデビューさせるために神さまがくださった子にちがいない」
なかなかプッシュJr.を見つけられなかったじゃにーさんは、大喜びです。
そんな男の子を、じゃにーさんは“ぼーいず”と名付けたぐるーぷに入れました。
ぼーいずのはまちゃんはスクスク育って、やがてスラリと背の高い細身の男の子になりました。
はまちゃんは、マイクを持ちひらひらした衣装をひるがえしながら笑みを浮かべ、その笑顔でたくさんの女の子たちをうっとりさせる人になったのです。
そんなはまちゃんのおとなりには、いつもいつも、一人のカッコいい男の子がキリッとした顔で立っていました。
はまちゃんのおとなりにいる男の子は、はまちゃんがはじめて山の奥から大阪にやってきた日にであった子です。
おーでぃしょんの日にぐうぜんペアを組んで、ごうかくして関西Jr.になってからはぐうぜん同じぼーいずというぐるーぷになって、ぼーいずで歌ったり踊ったりしてみたらぐうぜんダンスやお歌の相性がピッタリ合ったのです。
ぼくのおとなりにいるのは絶対にこの子じゃないとダメだと、はまちゃんは心の底から思っていました。
この子とこの先もずっといっしょに生きていくんだと、はまちゃんは心の底から信じていました。
だけど、神さまはいじわるでした。
いっしょうけんめいがんばるはまちゃんから、おとなりにいる男の子をうばっていったのです。
はまちゃんは怒りました、そして悲しみました。
わんわん泣いて、泣いて泣いて泣き疲れて、そしてその後とほうにくれました。
ぼくは、いったいこれからだれといっしょに、てっぺんめざせばいいのだろう。
心優しいはまちゃんには、おとなりにいる男の子以外にも、はまちゃんのことを好きでいてくれる仲間がたくさんいました。
あきとくんや、じゅんたくんや、ぶんいちくん、りゅうたくん。
みんなとってもすてきな男の子です。
だけど、あきとくんとじゅんたくんは固いきずなでむすばれていて、そこにはまちゃんが割り込む隙なんてありませんでした。
ぶんいちくんやりゅうたくんがいるぐるーぷとお仕事したけれど、そのグループに入ることはありませんでした。
そうです、はまちゃんはひとりぼっちで生きていくことになってしまったのです。
9年もの間ずっとおとなりにいた男の子が急にいなくなって、はまちゃんは心細くてたまりません、それでもしょんぼり下をむいたりはしませんでした。
絶対に、でびゅーしたかったからです。
それからの3年間は、うれしいこともいっぱいあったけれど、つらいことやくやしいことのほうが多い日々でした。
ささえてくれる人もいない、たすけあう人もいない、だからひとりぼっちは大変です。
苦しくてうわぁーとさけびたくなることがなんどもなんどもありました。
その場所からスタコラサッサと逃げ出す、そのほうがきっと楽だったけれど、はまちゃんはどうしてもでびゅーしたかったからぽろぽろ涙をこぼしながらもふんばりました。
ひとりぼっちで走って走って、やっとでびゅーを掴めると喜んだときにも、またもや神さまははまちゃんにいじわるをしました。
たくさんの人が「もうはまちゃんはでびゅーなんてむりだ」と思いました。
だけどあきらめきれずにもがくはまちゃんと共に、神さまにエイッと戦いをいどんでくれる人がなんと6人もいたのです。
ひとりぼっちで生きてきたはまちゃんのがんばりは、ついにむくわれました。
今、はまちゃんはじゃにーずうえすとのめんばーになって、毎日幸せそうに笑っています。
いつも誰かがおとなりにいてくれるからさびしくなんかないし、お仕事もたくさんあるからもう不安なんかありません。
むかし、むかし、くるしかった日のことなんか、もうわすれてしまってもだいじょうぶだと、はまちゃんは胸の中でつぶやいていました。
そんなはまちゃんのことを、だれよりも大好きな男の子がいます。
のんちゃんという、せいたかのっぽでとってもかわいいお顔をしていてみんなから愛される、びっぐべいびーです。
うんと年下のびっぐべいびーのことを、はまちゃんもじゃにーずうえすとめんばーも、ほんの赤ちゃんだと思っていました。
だけど、のんちゃんはじゃにーずうえすとの末っ子だけれど、本当にかしこい男の子だったのです。
ただのびっぐべいびーではなかったのです。
はまちゃんがつらかったむかしの日々のことは口に出さない、それがるーるだと、何となくじゃにーずうえすとや関西Jr.のみんなは思っていたんだけれど、のんちゃんだけは違いました。
関西Jr.のころ、はまちゃんはひとりぼっちで大変だったよね、と。
全部自分ひとりに、せきにんやふあんが襲いかかってきたよね、と。
それにうちかってデビューしたはまちゃんは、強いよね、と。
かわいいお顔で、ニコニコ笑いながら、するっと口にするのんちゃんは、赤ちゃんなんかではなくとんでもなくすごい男の子です。
もちろん、自分のことを自分以上に理解してくれる、そんなのんちゃんのことを、はまちゃんも100ぱーせんと大大大好きなのです。
これが、はまちゃんが、はまちゃんのことをわかってくれるのんちゃんと出会うまでの、ながいながいおはなしです。
百万本の薔薇の花束を ~2002年7月13日の君たちに~
関西ジャニーズJr.入所14周年 おめでとうございます !
まず、昔話をしましょう。
黄金期を支えた小原裕貴さんが退所、8時だJ→やったるJ→music entaと続いた黄金期を象徴するゴールデン枠のジャニーズJr.番組が終了し。
ジャニーズJr.が一気に暗黒期へと突入した2001年~2002年という時代。
大阪を拠点として活動する関西ジャニーズJr.も“先輩デビュー組が2回開催する大阪公演バックしか仕事がない”という究極の干され状態に喘いでいました。
そんな2002年夏、降って湧いたように大阪松竹座での『ANOTHER』公演が決まったのです。
メインは言わずと知れた関ジャニ∞メンバー。
勿論当時はユニット括りされておらず、V.WESTの名残もあって今はもう退所してしまったJr.が関ジュ二番手ポジション(浜中さんもこの位置のJr.)だった大倉さんよりも上の扱いで出演していたのですが。
実質的に関ジャニ∞結成のきっかけになったとして広く知られるこの『ANOTHER』という公演は、もう一つの大きな意味を持っているのです。
『ANOTHER』公演に出演する関西ジャニーズJr.を大々的に募集するオーディションが数年ぶりに大阪で開催された。
そして、そのオーディションにおいて一部関ジュ担から“華の2002年組”と呼ばれるメンバーが発掘された。
2002年組オーデこそ、後にジャニーズWESTとしてデビューする濱田崇裕と桐山照史そして長きにわたり関ジュを牽引してきた林真鳥の3名が発掘されたものです。
2001年前後の関ジュ冬の時代を息を潜めるようにして生き抜いたメンバー…浜中さんや伊藤さん室龍規さんたち…と比べると2002年組がどれほど恵まれていたか。
夏の松竹座『ANOTHER』公演に引き続いて『J3KANSAI』という関ジュのテレビ番組がスタートしそこで関ジャニ∞が結成され、関西発新ユニット関ジャニ∞の次世代を担う人材としてフィーチャーされた2002年組。
まず当時小学6年生だった真鳥を中心として5人組の関西BOYSが結成され濱田もそのメンバーとなり、関西BOYSに続いて照史が所属する3人組のB.A.D.が誕生しました。
2002年組を核とするユニットが次々に生まれていくのを、先輩である浜中さんたちがどのような想いで眺めていたのか…。
それはまた別の話となります。
しかし“華の2002年組”も順風満帆とはいきませんでした。
関西BOYSもB.A.D.もメンバーチェンジを何度か繰り返し、やがて固まったB.A.D.BOYSで東京方面へ打って出るもののなかなか人気は出ず知名度も上がらず。
同じように同世代Jr.から突き抜けるチャンスを窺っていたKis-My-Ft2やABCと共に、2007年のあの横浜アリーナでのHey!Say!JUMP結成に立ち会うこととなります。
自分たちよりと同世代のYa-Ya-yahそしてJ.J.Expressに所属していた年下のJr.たちが、それまでの所属ユニットを解体して新たに作られたJUMPでデビューする姿をどのような気持ちで見つめていたのか。
あの時阿鼻叫喚の横アリで、JUMP結成の様子を生中継で流していたHEY!HEY!HEY!との場繋ぎを任されたバドボメンバーの葛藤を想像しただけで胸が詰まりそうになります。
でもまさか数年後、いざ自分たちがデビューを掴みかけたその際に。
ほぼ決まっていたメンバーが減員されそこからの増員というまるでJUMP結成時の悪夢を繰り返すかのような事態に巻き込まれるだなんて…。
ここからの経緯は皆さまもよくご存知でしょう。
私はこう思うのです。
「華の2002年組は耐えることを知るエリートだ」と。
入所当時こそ早々と恵まれた環境に置かれたものの、濱田と照史は紆余曲折を経てデビューの夢を手にするまでに12年もの月日を要しそして真鳥はデビュー組とは違う形でジャニーズという海を今も泳いでいる。
今日で入所から丸14年。
14年間という長い長い時間を笑顔で、時には涙を流しながら、それでも前を向いて走り続けてきた2002年組の濱田と照史と真鳥という3名。
その存在の尊さ。
そんな君たちのことが大好きだよ。
別の人生を歩んでいる2002年組の同期たちも含めて君たちのことが愛しくてたまらないよ。
誰がなんと言おうと君たちが一等賞だって叫び続けるよ。
私と出会ってくれて、ありがとう。
私に出会わせてくれて、ありがとう。
そう、2002年7月13日の君たちに伝えたい。
あの日の少年の姿をした君たちに、想いを込めた百万本の薔薇の花束を贈らせて下さい。
巡り合える奇跡と、続けられる奇跡
ひとりごと。
6月4日は私にとって節目となる一日でした。
濱田担歴、○000日記念日。
もう年が年なのでジャニヲタ歴は四半世紀以上となりましたが、濱田さんはその私のヲタ歴の中でも群を抜いて長い担当様です。
元担くんが事務所を辞めた時、元担くんは彼の自宅にストックされていたファンレターの返信ハガキを使って言葉をくれました。
「4年以上、俺の応援を続けてくれてありがとう。感謝しています」
そこにはそう書かれていて、それを見た時にこぼした涙でペンで書かれた文字が滲んだことを昨日のことのように思い出します。
そんな元担くんより、遥かに長くなった濱田さんの担歴。
濱田さんがCDデビューを果たしてくれたことにより、きっと今よりもっともっとその日数は伸びていくでしょう。
私が心変わりしない限り。
Jr.担が何よりも恐れる“自担の退所による強制的担降り”はもう有り得ないんだから。
巡り合える奇跡と、続けられる奇跡。
この2つの奇跡の邂逅。
性別も、年齢も、生きる場所も全く違う私と濱田さんですが、貴方との思いがけない偶然の出会いに感謝します。
ため息でスピンして、せつなさでターンして ~ダンス大っ嫌いなんですよ発言@濱田崇裕~
『もぎたて関ジュース』の「ファンに年数は関係ない」発言についてつらつらつらつらと
やがて彼へと降り注ぐ恵みの雨
事務所は濱田崇裕を何者にする気なんだろう?
「市場三郎~温泉宿の恋」初日からぶっ通し3日間観劇を終えてからというもの。
仕事をしていても遊んでいても家で寛いでいても、ちょっとぬるめで浸かっているとじ~んわり身体が温まってくるいい湯加減の温泉が恋しくてたまらなくて、ふとした拍子に頭の中に♪ホットパン~ッ♪という例のテーマ曲が流れるという不治の病に罹っちゃってます。
良作のテレビドラマや映画に出会うと、見終わってから何日間も余韻に浸るってことがあるんだけど。
演劇ってやっぱりドラマより映画より、役者さんたちが目の前で演ずることによってダイレクトに心に響くよね。
画面やスクリーンを介せずに演者の体温を感じることができる空間ってすごいなと改めて痛感しました。
「市場三郎~温泉宿の恋」は、くだらなくて馬鹿馬鹿しくてナンセンスで正論なんてほとんど劇中に転がってなくて、だけど大部分大笑いしてちょっとした部分に共感したりほろっとさせられたりで最終的に「あぁこの世の中の何気ない営みこそが愛しいんだな」と思える作品です。
濱田崇裕というジャニーズタレントのファンが一度観て夢中になるものではないかもしれない。
派手なアクションやカッコいい殺陣、煌びやかな演出に心ときめかせるタイプの演劇じゃないもの。
だけど『人間って何なんだろう?』『生きるって何なんだろう?』という永遠のテーマが根底に流れていて色々と考えさせられる作品だと思います。
初日観劇後初っ端のTweetはこれ。
【市場三郎4/22初日】事務所は濱田崇裕を何者にする気なんだろう?それが一番の感想w
— な☆な☆ (@hamataka1219) 2016年4月22日
まだまだ駆け出しどころか役者としてはひよっこでしかない濱田崇裕、彼が持つ武器は安定した歌唱力と高い身体能力なのに、敢えてミュージカルでもなくアクション活劇でもなくわざわざ人情喜劇に出す。
その意図を推し量れなくて。
恒例の“観劇後の本人不在の反省会(という名の単なる飲み会)”で仲間うちでうだうだと感想やらダメ出しやらをしているうちに考えがまとまってきたのか、こういうTweetをしています。
【市場三郎4/22初日】多分事務所は濱田さんをオールラウンダーにするために鉄の心臓育成講座として市場三郎主演を当てたのかなとエスパ
— な☆な☆ (@hamataka1219) 2016年4月22日
最近、小劇場出身の役者さんたちが30代半ばあたりから頭角を現し、40歳前後で人気俳優のポジションを得るという現象が多数見られますよね。
その理由って
・劇団の定期公演を重ねてきていてステージの場数が半端じゃないため即戦力になる
・これまでに様々な役柄を演じてきているため普通の人でも変人でも演じ分けられる
・若い頃からテレビドラマに出演して茶の間ファンに固定イメージが付いていないので新鮮味がある
こんなところでしょうか。
全くの私見ですが、事務所は濱田崇裕という所属タレントをこういった役者さんたちと似たような売り出し方をしていくつもりなんじゃないかなぁ。
「えっ、濱ちゃんはあくまでもジャニーズ所属のタレントだよ?本業であるアイドル業の傍ら役者やっていくスタンスしか無理でしょ。役者専業それも演劇畑出身の人たちのやり方模倣なんて有り得ないって!」
なーんて言われちゃいそうですね。
だけど、アイドルグループの有り様というのも変化してきていると思うのです。
これまでならまず所属するアイドルユニットの人気を確立して、そのユニットの知名度を利用して役者業やらタレント業へと進出していくのが定番だったけど。
ジャニーズWESTはそれを踏襲しようとはしていない気がする。
事務所はジャニーズWESTのメンバーを細々としたローカルドラマ仕事だとか舞台だとかひな壇タレント的なお仕事に押し込んで、それで食い繋ぎながら同時に知名度をUPさせて母体であるジャニーズWESTへと新規ファンを呼び込もうとしている。
つまりこれまでとは逆パターン。
そう私は睨んでいます。
そっちの方向で考えると辻褄が合うことがたくさんあるんだよね。
しげや淳太の雑多なお仕事内容、朝ドラ大役にいきなり捻じ込まれた照史、片っ端からドラマ出演している流星、いきなり重いテーマの舞台主演をさせたかと思えば先輩バータードラマなのぞむぅ、突然の抜擢による劇団☆新感線出演の神ちゃん。
全く統一感が無くて、統一感が無いこと自体に一貫性があるんだよなぁ。
ジャニーズWESTというユニットでのブレイクを見据えて、それを実現させるための戦略としての今のジャニーズWEST各メンバーのお仕事だとしたら。
すっごくすっごくワクワクしませんか?
今後のジャニーズWESTの今後の進路には期待しかないですよね。
メンバー各々が得意分野を活かせる単独仕事…今時のルックスを活かしたツインのゴールデンタイムドラマとか、淳太の報道関係のお仕事とか、幅広い層に支持されるお茶の間アイドルしげとか…を獲得して、それがユニット人気に還元されるとか最高じゃない?
そして同時に、事務所が一度は役者として売っていこうとしていた濱田さんの将来にも明るい兆し以外何も見えない。
一体濱田崇裕が何者になるのか、規定の型枠になんて填まらない新しいジャニーズタレントの形を濱田さんが体現してくれる、そう信じています。