はぴはぴかむかむ

濵田崇裕さんのあれこれとか。X→@hamataka1219

はまちゃんが、のんちゃんと出会うまでの、ながいながいおはなし。

むかし、むかし、松竹座からとおく離れた山の奥に、はまちゃんが住んでいました。
はまちゃんはお仕事のたびに、エンヤコラ、エンヤコラと、電車に乗って松竹座やテレビ局などにやってきました。
「おや、今回もはまちゃんはいい役をもらったんだね」
「おやおや、今回もはまちゃんはたくさん歌うんだね」
ほんわか笑顔のはまちゃんを見て、周りの関西Jr.のメンバーやファンたちはそんなことをひそひそとささやきました。

そうです、はまちゃんは関西Jr.の中でもなかなかいいポジションに立っていたのです。
ある日大阪にやってきたじゃにーさんが、ほんの気まぐれではまちゃんをまんなかにしてみたときに、くるくる回りながら澄んだ高い声でお歌をうたってみせたことで、はまちゃんは前列に立つことができるようになったのです。
子供のころに山の奥で元気にかけ回っていたからダンスがとくいで、木々の間で大声をはり上げていたからお歌がじょうずだったのかもしれません。

「これはきっと、しょうらい大阪からデビューさせるために神さまがくださった子にちがいない」
なかなかプッシュJr.を見つけられなかったじゃにーさんは、大喜びです。
そんな男の子を、じゃにーさんは“ぼーいず”と名付けたぐるーぷに入れました。
ぼーいずのはまちゃんはスクスク育って、やがてスラリと背の高い細身の男の子になりました。
はまちゃんは、マイクを持ちひらひらした衣装をひるがえしながら笑みを浮かべ、その笑顔でたくさんの女の子たちをうっとりさせる人になったのです。
そんなはまちゃんのおとなりには、いつもいつも、一人のカッコいい男の子がキリッとした顔で立っていました。

はまちゃんのおとなりにいる男の子は、はまちゃんがはじめて山の奥から大阪にやってきた日にであった子です。
おーでぃしょんの日にぐうぜんペアを組んで、ごうかくして関西Jr.になってからはぐうぜん同じぼーいずというぐるーぷになって、ぼーいずで歌ったり踊ったりしてみたらぐうぜんダンスやお歌の相性がピッタリ合ったのです。
ぼくのおとなりにいるのは絶対にこの子じゃないとダメだと、はまちゃんは心の底から思っていました。
この子とこの先もずっといっしょに生きていくんだと、はまちゃんは心の底から信じていました。

だけど、神さまはいじわるでした。
いっしょうけんめいがんばるはまちゃんから、おとなりにいる男の子をうばっていったのです。
はまちゃんは怒りました、そして悲しみました。
わんわん泣いて、泣いて泣いて泣き疲れて、そしてその後とほうにくれました。

ぼくは、いったいこれからだれといっしょに、てっぺんめざせばいいのだろう。

心優しいはまちゃんには、おとなりにいる男の子以外にも、はまちゃんのことを好きでいてくれる仲間がたくさんいました。
あきとくんや、じゅんたくんや、ぶんいちくん、りゅうたくん。
みんなとってもすてきな男の子です。
だけど、あきとくんとじゅんたくんは固いきずなでむすばれていて、そこにはまちゃんが割り込む隙なんてありませんでした。
ぶんいちくんやりゅうたくんがいるぐるーぷとお仕事したけれど、そのグループに入ることはありませんでした。

そうです、はまちゃんはひとりぼっちで生きていくことになってしまったのです。

9年もの間ずっとおとなりにいた男の子が急にいなくなって、はまちゃんは心細くてたまりません、それでもしょんぼり下をむいたりはしませんでした。
絶対に、でびゅーしたかったからです。
それからの3年間は、うれしいこともいっぱいあったけれど、つらいことやくやしいことのほうが多い日々でした。
ささえてくれる人もいない、たすけあう人もいない、だからひとりぼっちは大変です。
苦しくてうわぁーとさけびたくなることがなんどもなんどもありました。
その場所からスタコラサッサと逃げ出す、そのほうがきっと楽だったけれど、はまちゃんはどうしてもでびゅーしたかったからぽろぽろ涙をこぼしながらもふんばりました。

ひとりぼっちで走って走って、やっとでびゅーを掴めると喜んだときにも、またもや神さまははまちゃんにいじわるをしました。
たくさんの人が「もうはまちゃんはでびゅーなんてむりだ」と思いました。
だけどあきらめきれずにもがくはまちゃんと共に、神さまにエイッと戦いをいどんでくれる人がなんと6人もいたのです。

ひとりぼっちで生きてきたはまちゃんのがんばりは、ついにむくわれました。
今、はまちゃんはじゃにーずうえすとのめんばーになって、毎日幸せそうに笑っています。
いつも誰かがおとなりにいてくれるからさびしくなんかないし、お仕事もたくさんあるからもう不安なんかありません。
むかし、むかし、くるしかった日のことなんか、もうわすれてしまってもだいじょうぶだと、はまちゃんは胸の中でつぶやいていました。

そんなはまちゃんのことを、だれよりも大好きな男の子がいます。
のんちゃんという、せいたかのっぽでとってもかわいいお顔をしていてみんなから愛される、びっぐべいびーです。
うんと年下のびっぐべいびーのことを、はまちゃんもじゃにーずうえすとめんばーも、ほんの赤ちゃんだと思っていました。

だけど、のんちゃんはじゃにーずうえすとの末っ子だけれど、本当にかしこい男の子だったのです。
ただのびっぐべいびーではなかったのです。
はまちゃんがつらかったむかしの日々のことは口に出さない、それがるーるだと、何となくじゃにーずうえすとや関西Jr.のみんなは思っていたんだけれど、のんちゃんだけは違いました。
関西Jr.のころ、はまちゃんはひとりぼっちで大変だったよね、と。
全部自分ひとりに、せきにんやふあんが襲いかかってきたよね、と。
それにうちかってデビューしたはまちゃんは、強いよね、と。
かわいいお顔で、ニコニコ笑いながら、するっと口にするのんちゃんは、赤ちゃんなんかではなくとんでもなくすごい男の子です。

もちろん、自分のことを自分以上に理解してくれる、そんなのんちゃんのことを、はまちゃんも100ぱーせんと大大大好きなのです。

これが、はまちゃんが、はまちゃんのことをわかってくれるのんちゃんと出会うまでの、ながいながいおはなしです。

百万本の薔薇の花束を ~2002年7月13日の君たちに~

 

濱田崇裕さん&桐山照史さん&林真鳥さん

関西ジャニーズJr.入所14周年 おめでとうございます !



まず、昔話をしましょう。

黄金期を支えた小原裕貴さんが退所、8時だJ→やったるJ→music entaと続いた黄金期を象徴するゴールデン枠のジャニーズJr.番組が終了し。
ジャニーズJr.が一気に暗黒期へと突入した2001年~2002年という時代。
大阪を拠点として活動する関西ジャニーズJr.も“先輩デビュー組が2回開催する大阪公演バックしか仕事がない”という究極の干され状態に喘いでいました。
そんな2002年夏、降って湧いたように大阪松竹座での『ANOTHER』公演が決まったのです。

メインは言わずと知れた関ジャニ∞メンバー。
勿論当時はユニット括りされておらず、V.WESTの名残もあって今はもう退所してしまったJr.が関ジュ二番手ポジション(浜中さんもこの位置のJr.)だった大倉さんよりも上の扱いで出演していたのですが。
実質的に関ジャニ∞結成のきっかけになったとして広く知られるこの『ANOTHER』という公演は、もう一つの大きな意味を持っているのです。

  『ANOTHER』公演に出演する関西ジャニーズJr.を大々的に募集するオーディションが数年ぶりに大阪で開催された。
そして、そのオーディションにおいて一部関ジュ担から“華の2002年組”と呼ばれるメンバーが発掘された。

2002年組オーデこそ、後にジャニーズWESTとしてデビューする濱田崇裕と桐山照史そして長きにわたり関ジュを牽引してきた林真鳥の3名が発掘されたものです。

2001年前後の関ジュ冬の時代を息を潜めるようにして生き抜いたメンバー…浜中さんや伊藤さん室龍規さんたち…と比べると2002年組がどれほど恵まれていたか。
夏の松竹座『ANOTHER』公演に引き続いて『J3KANSAI』という関ジュのテレビ番組がスタートしそこで関ジャニ∞が結成され、関西発新ユニット関ジャニ∞の次世代を担う人材としてフィーチャーされた2002年組。
まず当時小学6年生だった真鳥を中心として5人組の関西BOYSが結成され濱田もそのメンバーとなり、関西BOYSに続いて照史が所属する3人組のB.A.D.が誕生しました。
2002年組を核とするユニットが次々に生まれていくのを、先輩である浜中さんたちがどのような想いで眺めていたのか…。
それはまた別の話となります。

しかし“華の2002年組”も順風満帆とはいきませんでした。
関西BOYSもB.A.D.もメンバーチェンジを何度か繰り返し、やがて固まったB.A.D.BOYSで東京方面へ打って出るもののなかなか人気は出ず知名度も上がらず。
同じように同世代Jr.から突き抜けるチャンスを窺っていたKis-My-Ft2やABCと共に、2007年のあの横浜アリーナでのHey!Say!JUMP結成に立ち会うこととなります。

自分たちよりと同世代のYa-Ya-yahそしてJ.J.Expressに所属していた年下のJr.たちが、それまでの所属ユニットを解体して新たに作られたJUMPでデビューする姿をどのような気持ちで見つめていたのか。
あの時阿鼻叫喚の横アリで、JUMP結成の様子を生中継で流していたHEY!HEY!HEY!との場繋ぎを任されたバドボメンバーの葛藤を想像しただけで胸が詰まりそうになります。
でもまさか数年後、いざ自分たちがデビューを掴みかけたその際に。
ほぼ決まっていたメンバーが減員されそこからの増員というまるでJUMP結成時の悪夢を繰り返すかのような事態に巻き込まれるだなんて…。
ここからの経緯は皆さまもよくご存知でしょう。

私はこう思うのです。
「華の2002年組は耐えることを知るエリートだ」と。
入所当時こそ早々と恵まれた環境に置かれたものの、濱田と照史は紆余曲折を経てデビューの夢を手にするまでに12年もの月日を要しそして真鳥はデビュー組とは違う形でジャニーズという海を今も泳いでいる。
今日で入所から丸14年。
14年間という長い長い時間を笑顔で、時には涙を流しながら、それでも前を向いて走り続けてきた2002年組の濱田と照史と真鳥という3名。
その存在の尊さ。

そんな君たちのことが大好きだよ。
別の人生を歩んでいる2002年組の同期たちも含めて君たちのことが愛しくてたまらないよ。
誰がなんと言おうと君たちが一等賞だって叫び続けるよ。

私と出会ってくれて、ありがとう。
私に出会わせてくれて、ありがとう。

そう、2002年7月13日の君たちに伝えたい。

あの日の少年の姿をした君たちに、想いを込めた百万本の薔薇の花束を贈らせて下さい。

巡り合える奇跡と、続けられる奇跡

ひとりごと。

6月4日は私にとって節目となる一日でした。
濱田担歴、○000日記念日。
もう年が年なのでジャニヲタ歴は四半世紀以上となりましたが、濱田さんはその私のヲタ歴の中でも群を抜いて長い担当様です。

元担くんが事務所を辞めた時、元担くんは彼の自宅にストックされていたファンレターの返信ハガキを使って言葉をくれました。
「4年以上、俺の応援を続けてくれてありがとう。感謝しています」
そこにはそう書かれていて、それを見た時にこぼした涙でペンで書かれた文字が滲んだことを昨日のことのように思い出します。

そんな元担くんより、遥かに長くなった濱田さんの担歴。
濱田さんがCDデビューを果たしてくれたことにより、きっと今よりもっともっとその日数は伸びていくでしょう。

私が心変わりしない限り。

Jr.担が何よりも恐れる“自担の退所による強制的担降り”はもう有り得ないんだから。

巡り合える奇跡と、続けられる奇跡。
この2つの奇跡の邂逅。

性別も、年齢も、生きる場所も全く違う私と濱田さんですが、貴方との思いがけない偶然の出会いに感謝します。

ため息でスピンして、せつなさでターンして ~ダンス大っ嫌いなんですよ発言@濱田崇裕~

2016年5月18日、待ちに待ったパリピポDVD発売日がやってきたぜイェーイ!
まぁ待ちきれなくて私はフラゲ日に視聴完了しちゃってるけどな!!!←デフォ

パリピポツアーオーラス公演の大部分が収録されているDISK1も、アンコールとSPECIAL REELが収録されているDISK2もとっても見応えがあって大満足。
もう1年も前に開催されたコンサートなのでメンバーが目に見えて若いという…20代男(若干1名未だにぴっちぴち10代の方がおられますけど)の1年って大きいのね~と改めて。
パリピポDVD全体を通しての感想はきっと素晴らしいものをお書きになるブロガーさんがいらっしゃると思うから私は早々にそのミッションからは退散、コンサートリハーサル映像で引っかかった方が相当数存在して物議を醸している濱田さんの「ダンス大っ嫌いなんですよ」発言についてピンポイント考察してみよっかなっと。
Twitterだと分割ツイートになっちゃうから、こっちでね。

ジャニーズWESTってとてもよくできたグループで、飛び抜けた“○○が不得意”っていうウィークポイント持ちメンバーがいないんですよ。
歌にしろ、ダンスにしろ、演技にしろ。
みんなそこそこ達者でどれも及第点には達している、もちろんその裏にはメンバー各々の努力があってこそ。
その反面セールスポイントははっきりしていて「ジャニーズらしい$$しさはしげ」「対外的知名度は照史」「ビジュアル担当はツイン」「知的分野は淳太」「歌ダンスは濱神」という肩書をよく私たちファンも使うし、事務所的にもそういった売り出し戦略をしているように感じます。

そんな中で歌ダンスが得意だとされる濱田さんと神ちゃん。
神ちゃんはメイキングで本人が語っているように幼少期からダンスを習っていたこともあり、どんなジャンルのダンスも軽々と踊りこなす上に体幹はしっかり、そしてちびっ子の頃からステージに立っているので魅せ方も把握している。
見ていて安心、どこに出しても恥ずかしくないダンススキル。
間違いなくジャニーズWESTダンス力最強メンバーであるわけです。

さて、そこで濱田さんはと言うと。
田舎で野山を駆け回っていた少年はちびっ子ダンス教室なんてものには通っておらず、地元でのステージなんて多分小学校の学芸会くらいしかない環境で。
まともに踊り始めたのはジャニーズJr.人生がスタートしてからの可能性が高いですよね。
並外れた身体能力と勘の良さのお陰で、関西BOYSが結成された13歳当時から「ぼちぼち踊れてるね」その後B.A.D.BOYSでもメンバーチェンジした後のBOYSでも「結構踊り上手いよね」と言われていた。
ただ“結構上手い”なんですよ、“滅茶苦茶上手い”ではないんですよ、ここ重要。
テストに出るのでマーカー引いておいて下さい!

ジャニーズ事務所ダンスが上手いと評される人は多数存在します。
踊りを生業としている人にすら引けを取らないレベルの人…屋良さんのような…だっている。
そこまでではなくとも、よくジャニーズWESTの比較対象とされる若手グループの中にもキラリと光るダンスセンスが見え隠れする人がいて。
そういうハイレベルの人たちと比べると濱田さんは、さ。

濱田さんはきっと努力の人なんですよ。
表には出さないけれど、歌でもダンスでも演技でも黙々と反復トレーニングしてその完成度を高めていく。
結果が全てで過程を語るのはカッコ悪い、そういった彼の美学が垣間見えるような気が。
実際に濱田さんがまだちびっ子の頃、ダンス教室に通ったり自主練習をしたり踊りに華を添えるアクロバット習得に努めたりするのを私はファンの立場から眺めていました。

だけど、ダンスって結局はセンスがものをいう世界じゃないですか。
努力すれば一定レベルまでは到達できる、だけどそこから先の世界へ分け入っていくのは並大抵のことではない。
ステージに立つ濱田さんを見つめるファンが息をのむ、そんなポーズや動きをキメるために努力して努力して、それでも彼にとって満足できるレベルのダンスが踊れない。
そういう時期が長く続いたのではないか、と…。

ちびっ子濱田さんがダンス分野で尊敬していた先輩、それはV6の森田剛さんだったはず。
V6を知り尽くしているわけではない私ですが、森田さんの踊り方は細かくカウントを刻む緻密なものでそれでいてしなやかで繊細、ジャンプしたらまるで空に飛び上がったみたいに軽くて…。
私の目から見るとそういう種類で、森田さんはまさに天才肌のジャニーズダンサーだと思うんです。
憧れの森田先輩みたいに華麗に踊りたくても、天才森田剛を秀才タイプの濱田さんが追いかけるのは並大抵のことじゃなくて。
他人からの評価ではなく濱田さん自身が設定した点数にダンススキルが及ばない。
そして事務所のスタッフや応援してくれるファンもさほどダンスについては褒めてくれない。
「ファンの子にあんまり踊れてへんなあって言われたぁ」「エロさの欠片も濱ちゃんのダンスにはないなって手紙に書いてあったぁ」としょんぼりしてた濱田さん発言が記憶にあるもんね。
努力しているからこそ、濱田さんが抱えたであろう苦悩は計り知れない…。
 
だから、彼は。
「俺、ダンス嫌いなんですよ」と口にする。
「俺、自分の思い描いているようにカッコよく踊れないからそんな自分が不甲斐なくて、ダンス嫌いなんですよ」
そう、私の耳には聞こえるんだけど。
言葉にできない言葉が聞こえるんだけど。
どうでしょうか?
 
だけどね、濱田さんのダンスを好きだっていうファンの人はたくさんいるんだよ。
コンサート会場のあちこちにいる濱田担はあなたが踊る姿を愛してるし、濱田担じゃない人が「濱ちゃんのダンスがジャニーズWESTでは好きだな」と熱い眼差しで見つめていることも多々ある。
そういう環境に身を置いて、やっとここ最近「メンバーでも自分が一番やと」「絶対あいつよりもオレの方がカッコよく踊ってる」とこれまでのダンスに関するあれこれを肯定できるようになったんじゃないかな。
自己肯定できるようになったから「あれっおかしいぞ、俺ダンス好きになってきてるぞ」と口に出せるようになったんじゃないかな。
そう、思ったんだ…。(←市場三郎風に)
 
以上、長々と濱田さんの「ダンス大っ嫌い」という発言について勝手な考察を述べてみました。
おぉう、これをTwitterでさらっと書こうとしていたのか自分!何と無謀な。
以前から私は濱田さんのダンスを酷評したことが何度かあり、それを今となっては少々悔やんでいたりもするので。
一種の罪滅ぼしblogを綴りたかった、今日これを書くことができて勝手に少し気が楽になったような気がします。(自己解決)
 
タイトルは少年隊の名曲『バラードのように眠れ』の歌詞よりお借りいたしました。

『もぎたて関ジュース』の「ファンに年数は関係ない」発言についてつらつらつらつらと

月曜日の朝っていうのは何をどうしたって勤労意欲が沸かずテンション低いと相場が決まっていますよね。
ゴールデンウイーク明けの月曜日、つまり今日なんてもう、泥のように重い身体を引きずるようにして出勤準備する羽目に陥るわけですが。
ジリリ目覚ましが鳴り血圧はどん底で寝グセだらけの顔で(どこかにそんな歌がありましたっけね?)起き上がって、ふとスマホの画面を見るとLINEの未読が。
「うぇっ、誰?」と恐る恐る画面をタップすると、あぁやっぱりな~という内容がふっるーいヲタ友から…。

いい年ぶっこいた社会人ヲタが何を馬鹿なことで鬱々としてるんだ、って一笑に付されるかもしれないけど。
所詮はヲタなんて面倒臭い生き物なんですよ、オトナになんてなかなかなれないもんなんですよ。
ということで、2016年5月8日つまり昨夜の『もぎたて関ジュース』における「(б∀б)ファンに年数は関係ない」「(^ヮ^=)ファンになるのに遅いとか早いとかは関係ないしあったら困る」「(ノノ_☆)ファンは皆平等、ライブ会場に来たら一緒」等々の発言に関して私が思ったことなどをつらつらつらつらと。

昔々の大昔、私が大学に通っていた時に一般教養の単位を取るために心理学の講義を受けました。
そこで得た知識を掘り起こしてきて色々と考えてみる。
もしかしてもしかすると、心理学が専門の現役大学生なんかもフォロワーさんにおられたりするんでしょうか?
何せ古い知識ですから、万が一間違ったこと言ってたらこっそり教えて下さいね、修正します…。

人間の本能には食欲とか睡眠欲があるでしょ。
それ以外に承認欲求ってのもあって、これもまた強い欲求であると教わりました。
この欲求が満たされないと病むの。
家庭でも職場でも周囲から認めてもらえないとそれがストレスになるの。
毎日ご飯作ってお掃除して家でダンナや子供を待ってるお母さんであれば母の日に家族から「なかなか言葉にできないけど俺たちのためにありがとう、感謝してるよ」って口に出してもらいたいじゃない。
人手不足の中必死で連勤して残業してやっとノルマ果たしてる社畜は上司から「いつも苦労させてるな、お前の働きがあるから何とか仕事が回ってるよ」ってボーナス査定良くしてもらいたいじゃない。

古くからのヲタも同じだと思うわけ、認められたいわけ。
ずーっとずーっと大好きで、ずーっとずーっと応援してきた淳太くんや重岡くんや流星くんに。
「君が長年ファンやってきたことは無駄じゃないよ、ちゃんとわかってるし感謝してるよ」
「新たなファンが増えても肩身が狭いなんて思わず君はここにいていいんだよ、いてくれなきゃ困るよ」
とか何とか。
言葉を使って、きちんと評価をしてもらいたいだけ。

別にどこかの場面で特別扱いしてもらいとか、そういうことじゃないって思うんです。
若くて可愛い新規のファンが大切にされることなんて当たり前、売れるために新規獲得キャンペーンが続くであろうことも覚悟してる。
デビューしたが最後昔のようになんて無理なことを知ってるからこそ。
それでも今後もヲタ活を続けていく、その上で心の拠り所とすべき言葉が欲しいだけだと思うんですよ。
スキすぎてスキでスキだから、終わることのないLove Love Storyを描いてほしかっただけ(本日2回目のどこかにそんな歌がありましたっけね?)なんですよ。
自担に。

なのに「ホンマに年数なんて関係ないからね!来てくれたらみんなファミリーやから。そりゃ昔っから応援してくれてるのももちろん嬉しいけどぉ~」なんて言われたら。
そりゃ凹みますよねえ。
「“けど”っていう否定形の後ろ、どういう言葉が続くわけ?何が言いたかったわけ?」
とふっるーいヲタ友からどよどよどよよんという怨念籠ったLINEを受け取り、返す言葉がなかった私。
だって、ある意味古株全否定とも受け取れる発言だものね。
「新たにファンいっぱい付いたから、もう私みたいなファンはいらないってことかな」って古株がいじけちゃうのも仕方ない。

ごめんよ、ろくな慰めも言えない役立たずな友達でさぁ。
ヲタ友は今日仕事だし、私も同じくだし、せめて「私はアンタの気持ちわかるよぉぉぉ」という想いがこのblogを綴ることで伝わるかなぁ。

デビューするとね、10万人20万人っていうファン=顧客を相手に商売しなきゃならないから大多数に向けての言葉を発せざるを得ないと誰だって理解しています。
そうじゃないと人気者にはなれないものね。
1人のデビュー前からのヲタを大事にするより、2人の新たにファンになってくれた人を優遇するのは理にかなってる。
CDの売り上げ枚数にしろテレビの視聴率にしろ、古くからファンやってるからって1人は1人なんだから1人の新しいファンと同じ貢献度だわ。
貢献度同じなんだからそりゃタレント側からすれば平等に扱うのが当然だわ。
ただねぇ、言葉をチョイスする際に少数のデビュー前からの厄介ヲタをも転がせるものを選んで頂けたなら。
彼方立てれば此方が立たぬって事態に陥らずに古株も新規もまるっと抱え込む理想的な形にできるのになぁ、と思うわけ。
デビュー前にいた頭盛り盛りのギャルギャルしい強火ヲタどこいったー、なんてネタにされちゃう界隈(あの強そうなギャルたち、結構好きだったのに~)と同じことを繰り返してほしくないんだよね。

これって高望みなんでしょうか?

やがて彼へと降り注ぐ恵みの雨

私的市場三郎さん@東京公演の見納めは昨日5月5日でございました。
えぇ、見納めなんて偉そうに言えるほどの回数は観ておりません。
身近なヲタ友ちゃんたちはそれこそ「どうしても家や仕事の都合がつかない日以外は全公演観劇」という勢いだし本当に全ステしちゃう人だっているんだろうから、そんな猛者たちと比べると私なんぞ…。
でもまぁ私のヲタ活のテーマは“日常生活に支障をきたさない範囲で精いっぱい頑張る”ですのでこれでいいのだ!バカボンのパパなのだ!←アホ
そんなこんなで、新大久保に建つグローブ座という立派な劇場に足を踏み入れた田舎住まいの観劇シロートが感じたことなどを綴ってみようかと。

東京グローブ座は、元々シェイクスピア作品を演じるために造られたものだったはず。
ジャニーズが実質的に運営することになって眉をひそめた演劇ファンが少なくなかったと記憶しています。
そういった経緯があるにしろ数々の名作を名俳優が演じてきた舞台で、そのグローブ座の舞台ど真ん中に立つ濱田崇裕をこの目に映すことができて本当に良かった。

濱田さんはジャニーズタレントとして仕事していく上での色々な特技を持っている人です。
歌が得意で、ダンスもそこそこ踊れて、アクロバットもできて。
でもジャニタレって何もオールマイティでなくともいいんですよ。
飛び抜けたルックスを持っているならそれが一番!芸能人にとって整った顔面は才能だもーん。
ルックスが比較的平凡だったとしても、歌がとても上手いとかダンスが魅力的だとか、ファンを惹きつける特出したものが一つあればそれだけで充分なんです、その一つを磨いて武器として生きていけばいいから。
だからこそ「○○くんは歌も演技も達者だけど器用貧乏なんだよねぇ~」なんて揶揄される人がいるんだろうね。
まさに濱田さんもそのタイプでした。

そんな濱田さんが「Tough Weeds」のトシローや「少年たち~Jail in the Sky~」の看守長という役と出会い、初の外部舞台である「大和三銃士」の花輪嵐と運命的な出会いをした。
その巡り合いによって彼は、役者こそが生きる道だと神様によって定められたのだと思います。

濱田さん本人は歌うことが大好きで、飛んだり跳ねたり華麗にアクロをキメたりすることも大好きで、誰かを笑わせることも大好きで。
ダンスは好きじゃないっていう発言が多々あるのでそこには触れないでおこう(笑)←過去にダンスについて誰かにトラウマになるようなことを言われたりしたのか?はて…
とにかくあっちにもこっちにも興味関心が向いていて何でもやってみたくてたまらなくて、別に現時点で役者業をメインに生きていこうだなんて毛頭考えてないんじゃないかな。

でもね。
本人の思いとは裏腹に、何か大きな力によって進むべき道が用意されることってあるんだよ。
そこそこの年数生きていると、誰にだってそういうことが起きているはず。
それを人間は「神」だとか「運命」だとかって言葉で表現するのだと思います。

濱田さんの場合は。
簡単ではないと思ってはいたけど、指を伸ばせば掴めそうだったデビュー切符をあんな形で落としかけて。
再度切符を手に入れたものの、彼が彼として輝くことができる場所を与えられるのは厳しいと思わざるを得ない扱いで。
デビューしてからしばらくの間、彼自身が雑誌媒体などで何度も「30歳を過ぎた頃に立場を確立できればいい」「夢を叶えられるのは10年後くらいかもしれない」といった発言を繰り返したのはそれを覚悟していたからなのでしょう。
だけど周りの人たち…ジャニーズWESTのメンバーだったり濱田さんを愛するスタッフだったり…そういった彼を応援してくれるたくさんの人々の熱さと、真摯に努力し続ける本人の汗と涙が混じり合って水蒸気となり。
やがて彼へと降り注ぐ恵みの雨となったのが、今回の「市場三郎~温泉宿の恋」主演。

愛する座組を得て、もちろん彼自身も座組を愛して、毎日毎日楽しくて幸せでどうしようもないことが一度観劇すれば誰にだってわかる。
グローブ座の舞台を汗だくで所狭しと駆けずり回り、板の上どこにいてもスポットライトをシャワーのように浴びながら観客の笑いの波を受け止めて。
ジャニーズWESTとして歌っている時も踊っている時もカッコいい、それは間違いないけれど、たった一人でグローブ座の舞台に立つ彼は最高に最強にキラキラと輝いていて。
その姿にみーんな魅了されちゃった。

舞台の神様に愛された濱田崇裕、そんな彼を心ならずも愛してしまった私たちファン。
その中の一人である私は、次は大阪のシアター・ドラマシティへと足を運びます。
板の上で濱田さんが、いや市場三郎くんが待っているから。
三郎くんにたった2時間会うためだけに、哀れな子羊(出産間際のオッサン山羊じゃないからね?そこ間違えないでよw)たちはチケットという名前の悪魔のアイテムを握りしめ、足繁く劇場へと今日を足を運ぶのでした…。

おわり。

事務所は濱田崇裕を何者にする気なんだろう?

「市場三郎~温泉宿の恋」初日からぶっ通し3日間観劇を終えてからというもの。
仕事をしていても遊んでいても家で寛いでいても、ちょっとぬるめで浸かっているとじ~んわり身体が温まってくるいい湯加減の温泉が恋しくてたまらなくて、ふとした拍子に頭の中に♪ホットパン~ッ♪という例のテーマ曲が流れるという不治の病に罹っちゃってます。
 
良作のテレビドラマや映画に出会うと、見終わってから何日間も余韻に浸るってことがあるんだけど。
演劇ってやっぱりドラマより映画より、役者さんたちが目の前で演ずることによってダイレクトに心に響くよね。
画面やスクリーンを介せずに演者の体温を感じることができる空間ってすごいなと改めて痛感しました。
 
「市場三郎~温泉宿の恋」は、くだらなくて馬鹿馬鹿しくてナンセンスで正論なんてほとんど劇中に転がってなくて、だけど大部分大笑いしてちょっとした部分に共感したりほろっとさせられたりで最終的に「あぁこの世の中の何気ない営みこそが愛しいんだな」と思える作品です。
濱田崇裕というジャニーズタレントのファンが一度観て夢中になるものではないかもしれない。
派手なアクションやカッコいい殺陣、煌びやかな演出に心ときめかせるタイプの演劇じゃないもの。
だけど『人間って何なんだろう?』『生きるって何なんだろう?』という永遠のテーマが根底に流れていて色々と考えさせられる作品だと思います。
 
初日観劇後初っ端のTweetはこれ。



 
まだまだ駆け出しどころか役者としてはひよっこでしかない濱田崇裕、彼が持つ武器は安定した歌唱力と高い身体能力なのに、敢えてミュージカルでもなくアクション活劇でもなくわざわざ人情喜劇に出す。
その意図を推し量れなくて。
 
恒例の“観劇後の本人不在の反省会(という名の単なる飲み会)”で仲間うちでうだうだと感想やらダメ出しやらをしているうちに考えがまとまってきたのか、こういうTweetをしています。



 
最近、小劇場出身の役者さんたちが30代半ばあたりから頭角を現し、40歳前後で人気俳優のポジションを得るという現象が多数見られますよね。
その理由って
・劇団の定期公演を重ねてきていてステージの場数が半端じゃないため即戦力になる
・これまでに様々な役柄を演じてきているため普通の人でも変人でも演じ分けられる
・若い頃からテレビドラマに出演して茶の間ファンに固定イメージが付いていないので新鮮味がある
こんなところでしょうか。
 
全くの私見ですが、事務所は濱田崇裕という所属タレントをこういった役者さんたちと似たような売り出し方をしていくつもりなんじゃないかなぁ。
「えっ、濱ちゃんはあくまでもジャニーズ所属のタレントだよ?本業であるアイドル業の傍ら役者やっていくスタンスしか無理でしょ。役者専業それも演劇畑出身の人たちのやり方模倣なんて有り得ないって!」
なーんて言われちゃいそうですね。
だけど、アイドルグループの有り様というのも変化してきていると思うのです。
 
これまでならまず所属するアイドルユニットの人気を確立して、そのユニットの知名度を利用して役者業やらタレント業へと進出していくのが定番だったけど。
ジャニーズWESTはそれを踏襲しようとはしていない気がする。
事務所はジャニーズWESTのメンバーを細々としたローカルドラマ仕事だとか舞台だとかひな壇タレント的なお仕事に押し込んで、それで食い繋ぎながら同時に知名度をUPさせて母体であるジャニーズWESTへと新規ファンを呼び込もうとしている。
つまりこれまでとは逆パターン。
そう私は睨んでいます。
 
そっちの方向で考えると辻褄が合うことがたくさんあるんだよね。
しげや淳太の雑多なお仕事内容、朝ドラ大役にいきなり捻じ込まれた照史、片っ端からドラマ出演している流星、いきなり重いテーマの舞台主演をさせたかと思えば先輩バータードラマなのぞむぅ、突然の抜擢による劇団☆新感線出演の神ちゃん。
全く統一感が無くて、統一感が無いこと自体に一貫性があるんだよなぁ。
 
ジャニーズWESTというユニットでのブレイクを見据えて、それを実現させるための戦略としての今のジャニーズWEST各メンバーのお仕事だとしたら。
すっごくすっごくワクワクしませんか?
今後のジャニーズWESTの今後の進路には期待しかないですよね。

メンバー各々が得意分野を活かせる単独仕事…今時のルックスを活かしたツインのゴールデンタイムドラマとか、淳太の報道関係のお仕事とか、幅広い層に支持されるお茶の間アイドルしげとか…を獲得して、それがユニット人気に還元されるとか最高じゃない?
そして同時に、事務所が一度は役者として売っていこうとしていた濱田さんの将来にも明るい兆し以外何も見えない。
一体濱田崇裕が何者になるのか、規定の型枠になんて填まらない新しいジャニーズタレントの形を濱田さんが体現してくれる、そう信じています。