はぴはぴかむかむ

濵田崇裕さんのあれこれとか。X→@hamataka1219

Me Time

WEST.の最新アルバムでありラストアルバムとなった『唯一無二』に収録されている「Me Time」の歌詞の一節、その歌詞が今の私の心境を表しているかのような気がして。
あの2026年8月30日の脱退発表以来WEST.の楽曲を聴けなくなってしまっていたんですけど、WEST.が活動終了する今日という日にやっと再生したのが「Me Time」でした。
 
実は9月27日に久しぶりにBlogを更新しようとしたんですが、その日より9月30日にこそ更新するべきだと思い直したので今これを綴っています。
9月27日は私がまだ少年だった濵田くんを応援すると決めた記念の日、私にとって何よりも大切な日。
 2026年9月27日を迎えるとそこからの一年間は私にとっての周年yearで、私はその周年をとても楽しみにしていて。
いつもは意地になって絶対にコンサートでカンペうちわを持たない私が、ものすごく珍しく唯一無二ツアーのららアリーナ公演で「〇〇年目もよろしくね」みたいなことが書かれたうちわを年甲斐もなく持ったのは今思えば虫の知らせのようなものがあったからなのかな。
目の前に濵田さんが立った時にそのうちわを見せたら、いつもの同じようにチラッとうちわを見るだけ見てその後何か私に向けてのファンサらしいものをするわけでもなく、私の方も「まぁ通常営業だよね〜」と特に何を思うでもなくスルーしていたんだけど。
公演終了後の恒例のオタクお食事会で「そりゃ確かに何もしなかったかもだけどあの時の濵田くんの表情見たでしょ?あの表情こそがファンサだよ」と言われたんですよね。
その時にはいやいやまたそんなこと言って塩対応だった私を慰めようとしてくれてるんだねと笑い話のネタにして終わったのですが、あの頃既にWEST.の7人の関係にすきま風が吹き始めていたんだとしたら私が持ったカンペうちわの文字列を読んだ濵田さんが何かを考えたのが表情に表れていたとしても不思議じゃないなぁ、なんてことが頭をよぎるのです。
 
WEST.活動終了について、流星くんと小瀧くんが脱退を発表してから今日までの一ヶ月間に私が脳内でぐるぐると考えていたあれこれを今更語ろうとは思いません。
メンバー7人全員が30代になっている大人グループが、この先グループとして一緒に歩んでいくよりそれぞれが別々の道を進むことを選んだのならその決断が全てで、その下した決断が正しいかどうかをファンが語ったところで意味がないですから。
そりゃあ正直なところ「こんなはずじゃなかった」という思いは私にもあります。
「おじいちゃんになってもええじゃないかを歌っていたい」という7人のまるでわたあめみたいに甘い言葉を信じ切って、遠い未来までWESTの道が続いていくものだと疑ってもいなかった自分の浅はかさを思い知らされました。

わたあめって砂糖をふわふわにしたものを固めているだけだからちょっと水がかかったらあっという間に溶けてしまうんだよね、WEST.もそうだったのかもしれないね。

だけど9月30日の次には10月1日がやってきます。
10月1日になった瞬間にSTARTO ENTERTAINMENTのデビュー組であるWEST.のメンバーという看板を下ろしてそれ以降はただの一人のタレントになった自担を応援する自分の姿がやっと思い描けるようになりました。
この先もやっぱり濵田さんの歌を聴き続けたいしダンスを見続けたいし、濵田さんの演技を味わい続けたいと思うから。
考えてみれば、ジャニーズWESTとしてデビューする前のひりつくようなJr.時代の応援期間とCDデビュー後の応援期間がちょうど同じくらいになったんですよね。
濵田さんを応援すると決めたあの日、このきれいな目をした少年がCDデビューする日まで、デビューが無理ならJr.を辞めるその日まで応援すると自分で自分に誓いました。
関ジャニ∞がデビューしてからの10年間はチャンスが巡ってこずあの悪夢のようなカウコン以前にも何度も心が折れそうになる出来事があったけど、それでも濵田さんがデビューという夢を掴むことを諦めなかったから私も応援することをやめなかったよ。
そして迎えた2014年4月23日に「ええじゃないか」でCDデビュー。

その後の12年5ヶ月というデビューしてからの期間は濵田さんが私に贈ったプレゼントみたいなものだと今は思います。

濵田さんは私にColorfulな毎日を、一瞬一瞬が宝石みたいな時間をくれました。
WEST.とのキラキラ輝くような想い出を濵田さんはいっぱいくれたからグループとしてCDデビューする日までどころかそのグループの幕引きの日までも現役のファンとして居続けられたことはとても幸せなことだ、そう思えるようになったんだろうなぁ。
だからこれからはCDデビューとデビュー組担としてのファン人生というプレゼントを私にくれた濵田さんへ私がお返しをする番なんだな、と。
2026年でJr.時代の応援期間とデビューしてからの応援期間がプラスマイナスゼロになったんだから、ここで振り出しに戻って新たな気持ちで一歩踏み出して、私は私の好きなステップで一人のタレントとしての濵田崇裕さんの次のステージを楽しむことにしましょうか。

 

WEST.の7人がいて、WEST.の7人を全力で愛して応援してきた私のこれまでの人生には価値がある。

その価値を傷付けて低下させることなんて絶対にさせないよ。

10月1日に始まる濵田さんのセカンドステージを見守ることが私のこれからの人生の価値をもっと上げていくはず。

そう、自分に言い聞かせています。

ただ確かに記録されたこれらの景色は

必ず巡ってくる9月27日を、もう飽きるほど繰り返した9月27日を取り立てて特別な一日として扱う必要なんてないのはわかってるんだけど。

それでもやっぱり9月27日を迎える度に「ああ、今年もこの日が来たんだな」と普段は記憶の奥底で静かに眠らせたままの古くて美しくてちょっと切なくなる記憶の欠片をそっとすくい上げる。

 

これからよろしくね、と小柄で細身な少年に向かって声には出さずに私が語りかけたあの日から驚くほどの年月が過ぎ去り。

今ではすっかり身長が伸び華奢だった骨格も大人の男のそれへと変化して、“帝王”の称号を手に入れた人の名前は『濵田崇裕』といいます。

 

2025年の9月27日へと日付が変わる数時間前に更新されたYouTube映像。

今年のライブツアー映像から選ばれた珠玉の1曲『Checkmate』のサムネイル画像は濵田さんの姿で。

その曲の世界観を歌で、ダンスで、表情で余すことなく表現する濵田さんにファンは心を鷲掴みにされ逃げ場を失う。

そう、完全降伏。

デビューした頃にはまるで戦力外一歩手前のような立場に置かれていた人がここまで来たんだなと胸が一杯になります。

それはアイドルという道程を何があってもひたすら歩み続けた濵田さんの勝利で。

そして私は勝手に濵田さんを追いかけ続け、まだファンとしてここに立っている。

また今日からそこに新たな時間(とき)を積み重ねていきましょう。

 

私の記憶に、ただ確かに記録されたこれらの景色は共に歩んだ日々のその時々の真実。

 

2025年9月27日、今この瞬間の真実は。

時代だったり世の中だったりが味方をしてくれなくたって、私はいつもいつまでもあなたの味方でいたいという強い想いです。

濵田崇裕さんを甘やかしたい同盟

 世間一般の皆さまが濵田崇裕さんという人物を評する時によく聞く言葉。
「濵ちゃんは優しい」
「濵ちゃんはいい人」
「濵ちゃんはマイナスイオン発生機」
  こういったところでしょうか。
  WEST.メンバーの口からは「濵ちゃんはWEST.に欠かすことができない存在」なんて言葉がよく発せられます。
  濵田崇裕さんの全身から漂ってくる“いい人”感を否定する人は多分あまりいないだろうし、メディアで濵田崇裕さんを見かける度に彼の優しい笑顔に癒されるという人がたくさんいることでしょう。
  ただ、濵田さんのファンをやっている私はふと不安になることがあるんです。
「濵田さんがメンバーにもスタッフにも友人知人にも優しい、それはその通り。でもそんなに周りの皆に対して優しい人って、自分自身に対して優しくあれるの?」
 濵田さんだって人間だもの、喜怒哀楽の「怒」だったり「哀」の感情があるのが当たり前じゃないですか。
 だけど私たちは濵田さんの笑顔以外を見た記憶がほとんど無いし、優しくない濵田さんの姿もろくに思い出せない。
 そんな人間が本当にこの世にいるんでしょうか。
 もしかすると濵田さん本人も気付いていないかもしれないけれど、自分を律して本当の気持ちを飲み込んで心を削りながら生きているのかもしれない。
 周りに優しいと評判の濵田さんは、実は自分には優しくないのかもしれない。
 濵田さんの何を知っているわけでもないただのファンの一人だけど、そんな心配をしてしまうのです。
 濵田さん本人さえ意識していないそういった抑圧がもしあるのだとしたら、それをメンバーだったり周りの人が勘付くのは到底無理だろうから。
 それならせめて、濵田さんのファンが濵田さんのことを思う存分ケアしてあげたいな、なんてことを思うのです。
 名付けて『濵田崇裕さんを甘やかしたい同盟』なんですが、いかがでしょうか。
 なかなか甘やかしてもらう機会に巡り合わない濵田さんを、ファンがでろっでろに甘やかしたっていいですよね。
 ひっそりと同盟員を増やしていきたいな、なんてことを考えています。

2023年の記念日に考える

今日という日は私にとっての大切な記念日です。 

一年に一回巡ってくる、記念日。

濵田崇裕という人のファンになると決めてそれを周りの友達にも宣言した、記念日。 

9月27日という日は私の中では12月19日の濵田崇裕バースデー以上に重要な日で、毎年この日を迎えるたびに「これからも濵田担として精一杯彼の応援をしよう!」と誓いを新たにするのですが、今年ほど足元がぐらぐらする感覚の中でやってくる記念日は久しぶりじゃないでしょうか。 

 

2014年ですらここまで不安ではなかった、だって衣装も立ち位置も歌割りも前の4人とはあからさまに差別されて毎日悔しくて仕方なかったけどそれでも「曲がりなりにもCDデビューしたジャニーズWESTの一員なんだから5年10年頑張ればきっと道は拓けるはずだ」と信じることができたから。 

そうだなぁ…記憶を辿ってみると、2011年にBOYSが実質的に空中分解して濵田さんが所属ユニットを失っていたあの頃と同じくらいの心許なさかもしれない。 

2011年はもしかすると濵田さんが私の目に届く範囲から消えちゃうんじゃないかという不安があった。 

そして2023年の今年は濵田さんがやっと掴んだジャニーズWESTという確固たる所属場所が外圧によって激しく攻撃されていることへの不安がある。 

この2つの不安は全く別種のようでいて、その実似通っていると思います。 

“大好きな人の居場所が脅かされることによって、私というファンの居場所までも脅かされる”ことへの不安ですから。 

なんてエゴイスティック! 

今現在毎日繰り返されている悪意ある報道と部外者からの中傷が彼らに届いていないはずなんてなくて、そんな状況下でもメンバーは当たり前のように笑って私たちの前に立ってくれている、それをありがたがるんじゃなくて自分勝手に不安になっておろおろするだなんて害悪ファンでしかないんじゃないのか、私自身もそう思ってしまう。

思ってしまうんだけど、自分の心ですら自分の力ではどうすることもできなくて。

そんな時に縋るのはあのMyojoの10000字インタビューなんです。 

 

BOYSが解散状態になった時の想い出話。 

『ファンのコに変に気をつかわれて、やさしくされたんですね。“私は、ついてくからね!”みたいな』 

『いやいやいや、誰もやめる言ってへんし、やる気満々やし(笑)』 

『ありがたかったんです。でも、気をつかわせてしまった』 

 

さっき本棚から2014年のMyojoを引っぱり出して濵田さんの10000字を読み返してたんだけど、このくだりを読んで涙がこぼれそうになりました。 

自分自身は何も変わっていないのに周りが動揺してあらぬ噂を流される、これがあまりにも今の状況と酷似していて。 

でも過去に濵田さんははっきりと言っている、さっき書いたBOYSが解散状態になった時の想い出話のラストはこう締めくくられているんです。 

『だからデビューして、安心してもらいたいなって』 

自分のことで手いっぱいになったとしても誰も責めないのに自分のことよりもファンを思いやる、ファンのためにつらくても前を向いてよりよい未来を掴もうとする、それが濵田崇裕という人なんだよね。 

2011年のあの時も、2023年の今も、そこはきっと変わっていないと思います。 

 

私がやきもきして「もしグループ名が変わったらどうしよう」「事務所から出ていったらどうしよう」「その時には私もついていかなきゃ」なんて先回りして考えることを濵田さんは望んでいないはず。 

だって彼は、ファンを包み込んで守ってあげたい人だから。 

それなら私も正直に心の赴くまま動いてもいいよね。 

こうしてほしい、こうなってほしいと私は叫びます。 

叫んだところで一人のファンの力で何か事が動くことなんてなくて、世の中の大きな力と、事務所とそのスタッフとそして所属タレントの考えによって全てが決まるのだけれど。 

決まったことの中から最善策を選び取りファンを安心させるために濵田さんがその策を示してくれるなら従う、ただそれだけでいいんだなと思います。 

 

濵田さんは絶対にファンを見捨てたりなんてしない人。

あの日ふと濵田さんに目を留めて「この子ならきっとずっと先まで応援し続けられるんじゃない?」と濵田さんの奥底にある本質みたいなものを見極めてファンになった過去の私は間違ってなかったんだなぁ。

そんなことをつらつら考えている、2023年の記念日です。 

『ザ・ビューティフル・ゲーム』@梅田芸術劇場 雑感

勝手知ったる梅田芸術劇場での久しぶりの観劇。

自担がJr.時代だった頃から足繁く通ったこの場所に、まさか自担と同じグループに所属するメンバーの主演舞台を観に来ることになるだなんて夢にも思ってなかったなあ。

CDデビューから年月を重ねて心境の変化があったからこそ私は今この道を歩いているんだなぁ…なんてちょっぴりセンチメンタルな気分になりながら茶屋町へと歩いていきました。

 

『ザ・ビューティフル・ゲーム』はイギリス領北アイルランドの独立を目指すIRAが勢力を増すベルファストが舞台。

極東の島国である日本で生活しているとヨーロッパでの出来事はあまりにも遠くて、イギリスやフランス、ドイツやベルギーなどという国に憧れの感情以外は抱かないんだけど。

この物語の歴史的背景を少しでも知っておいたほうが楽しめるよね、折角お高いチケット代を払うんだしね、と観劇前の予習をしてみると。

ナチス・ドイツに関する知識は少しはあったものの、イギリス…というよりイングランドが併合したアイルランドに対して行った行為やベルギーが植民地としていたコンゴに対して行った弾圧のすざまじさを知ってゾッとすることになります。

IRA暫定派(アイルランド共和軍暫定派)の存在は私の年齢が年齢なので1990年代のイングランドでの自爆テロの記憶がうっすら残っていたものの、Wikipediaを読む程度でもイングランドとアイルランドの宗教的対立に端を発する問題の根深さに黙り込むしかなくて。

劇場でミュージカルを観る時間そのもの以外でも、このようにあれこれ調べることによって知的好奇心を満たすことができる“観劇”という体験はやはり素晴らしいですよね。

コロナ禍によりエンタメが徹底的に攻撃された数年間があり、わざわざ劇場やコンサートホールへ足を運ぶよりコスパもタイパもいい動画配信サービスなどを自宅で楽しむという社会情勢の変化もありますが、演劇を摂取することでしか味わえない経験が絶対にあるので演劇という文化が廃れてほしくないなと私は思います。

 

今回の小瀧望主演版『ザ・ビューティフル・ゲーム』キャスト、私程度の「ご贔屓の出演者がいる場合だけ劇場に足を運ぶ」というお茶の間ファンでも知っているのは主演の小瀧望くんと益岡徹さん、あとは木下晴香さんと東啓介さんくらいで、言葉はとても悪いんですが「客寄せパンダのミュージカル未経験アイドルが主演、その周りを固めるのは動員力があまりなさそうな無名キャストばかりだけどそれで大丈夫か?成立するのか?」という声があったのが事実です。

ただ観劇を終えた私は、キャストの皆さんの歌やダンスや演技に魅了され頭の中を劇中歌が流れています。

北アイルランド問題なんてほんのちょっとしか知らなかったけれど、ミュージカルの幕が開くとどんどん物語に引き込まれ「えっこの先どうなるの?」と食い入るように観て、物語の最後まで一瞬のように感じました。

出演者さんたちの演技とか歌のレベルが高いか低いか、専門的なことは素人の私にはわかりません。

でも私にとっては心に残るいいミュージカルだった。

きっとそれだけで充分だし、それが答えなのではないでしょうか。

 

私は主演の小瀧望くん目当てで梅芸に足を運んだ、所謂「作品ではなく出演者につくファン」です。

その私に、小瀧くんの演技や歌が上手かったかと聞かれたなら。

周りのキャストさんたちは、事前にミュージカルオタクのお友達が「今の日本の若手ミュージカル俳優で、スケジュールが空いている中から歌のスキルが高い人を順番に取っていったって感じのキャストだわ」と言ってたのも頷ける歌のレベルの高さで、実績があるその人たちと比較すると…そりゃ…と返事するしかないかなと。

だけど彼は本格的なミュージカルには初挑戦、それにも関わらずあれだけ身体を使ったミュージカルの発声ができて、日生劇場や梅田芸術劇場といった日本でもトップレベルに広い劇場の奥まで感情を乗せた台詞を届けて、何より彼の生まれもった華やかさで彼の登場シーンでは彼に目を奪われる。

間違いなく小瀧望が主役の舞台!

ジャニーズWESTの末っ子、本当に恐ろしい子です。

「小瀧一人で日生も梅芸も埋めるなんてどうせ無理」「所詮はジャニーズのアイドル主演の舞台だし」なんて陰口を叩かれ、なのにジャニーズWESTの人気部分を担うエースとして失敗は許されないというプレッシャーに打ち勝って、誰一人コロナに感染することもなく全公演を上演して無事に千穐楽まで走り抜けた。

座長としての今回の経験が加わることで、ますます小瀧のという人は役者として大きくなるよね。

小瀧望が背負うものそして否応なく背負わされるものはとんでもなく重くて、この先の彼の芸能人生はきっと大変なものになってしまうのだろうけど、彼は独りぼっちじゃないのが救いです。

あの広い梅田芸術劇場で小瀧望がジョンとして命を燃やす姿を見て「この人は大丈夫だろうか…心身ともに折れちゃわないだろうか…」と心配したけれど、立派に38公演をやり遂げた。

それを可能としたのは彼には“ジャニーズWEST”という居場所があるからで、ジャニーズWESTの仲間という存在が彼の重圧を軽減してくれたからでしょう。

ジャニーズWESTが彼を笑顔でいさせてくれると私は信じています。

目の前にそびえる高い山、一面に広がる大海原

ジャニーズWESTの濵田崇裕さん桐山照史さん、略してきりはまジャニーズ入所20周年yearも今日で終わりということで。

私が勝手な分析blogを2022年ラストに書いてみようかなと思います。

 

まず、皆さんご存知のジャニーズWEST入所日一覧は以下の通り。

 

濵田崇裕→2002年7月13日

桐山照史→2002年7月13日

中間淳太→2003年2月10日(関西Jr.の前に台湾Jr.としての活動期間あり)

神山智洋→2004年2月21日

藤井流星→2006年10月8日

重岡大毅→2006年10月8日

小瀧望→2008年7月17日

 

よく『ジャニーズWESTは兄組であるB.A.D.と濵田、そして弟組である7WESTのメンバーが合体したグループ』だと語られるのですが。

これは正解であると同時に違った角度から見ると間違っているとも言えるんですよね。

私がジャニーズWESTの成り立ちを説明するなら『関ジャニ∞が関西にいた時に入所した濵田・桐山・中間・神山と、関ジャニ∞が上京した後に入所した藤井・重岡・小瀧が上下の壁を越えて集まったグループ』です。

 

ジャニーズWESTの直属の先輩にあたる関ジャニ∞がCDデビューしたのは2004年8月25日、そして関ジャニ∞主演の松竹座クリパが2005年冬・松竹座サマスペが2006年夏まで。

この関ジャニ∞の経歴をジャニーズWESTの入所日一覧と併せて見たなら私の仮説に「あぁ、なるほど」と納得してもらえるのではないでしょうか。

神ちゃん入所日と、しげりゅせ入所日の間の2年間に関ジャニ∞は東京に活動拠点を移した点に注目してみてください。

(実際に関ジャニ∞メンバーが東京に居を構えたのがいつか、という細かい話は割愛します。私たちファンの目に映る事象としての関ジャニ∞上京時期の話です)

 

関ジャニ∞メンバーは全員がジャニーズJr.黄金期を経験し、その後の関西ジャニーズJr.冬の時代…KYO TO KYOが終わってしまってからはそれこそ関ジュの生存確認ができるのは先輩デビュー組コンサートが大阪城ホールで開催される夏休みと冬休み時期のみという厳しい時代…を生き抜き、天国と地獄を味わいながらその後荒れ地どころか凍土だった関西の地にジャニーズアイドル文化を根付かせた偉大なグループです。

関ジュの最大の功労者は関ジャニ∞、この事実はいつまで経っても変わらない。

そんなものすごい先輩たちが、必死で凍った土を耕して松竹座という場所を畑にしてそこに種を蒔き、その種が芽吹いて東京へと進出するまでにかかった期間が、4年。

その4年の間に入所したのが、濵田・桐山・中間・神山の4人です。

『のしあがっちゃるけん』の関ジャニ∞イズムを肌感で知っている世代、関ジュのギラギラを受け継いだ正当な後継者たちだと言えるでしょう。

ただ、関ジャニ∞という存在が目の前にそびえる高い山のように感じられ、自分たちの存在価値を見いだせないままもがいていたのかもしれません。

 

2006年のサマスペを最後に関ジャニ∞は松竹座公演をしなくなり、サマスペとクリパを継承したのはB.A.D.とBOYS、神ちゃんがいた初期のTOP Kidsとなります。

そこからの松竹座チケットが売れない数年間はさぞかしキツかったことでしょう。

『関ジャニ∞が抜けた関ジュをどうすれば立て直せるのか』を試行錯誤しながら考え続けたのではないでしょうか。

ちょうどその頃に入所してきたのが、藤井・重岡・小瀧の3人です。

彼らが入所したことにより人材が揃い、中山優馬 w/7 WESTが結成されたのは2008年夏。

(Hey! Say! 7 WESTもありましたがそのメンバーは流動的だったので省きます)

まだ入所してから日が浅く圧倒的に経験不足なメンバーが中心となったユニットにも、否応なく関ジュの屋台骨を支える責任が負わされて即座に結果を求められることとなりました。

右往左往する若いユニットを、まだ自分たちもJr.ユニットでしかない先輩Jr.がフォローすることも求められました。

その時期を言い表すなら、先に何も見えない一面に広がる大海原の向こうに目を凝らしていた暗中模索期でしょうか。

 

目の前にそびえる関ジャニ∞という高い山に悩んだ4人と、関ジャニ∞がいなくなって一面に広がる大海原に怯えた3人がその後出逢って、仲間になった。

手と手を繋いで7人で漕ぎ出そうとしたその時に大きな波をかぶって、散り散りバラバラになりかけてもその手を離すことはなかった。

そして今。

ジャニーズWESTの成り立ちを振り返りながら、彼らが存在し私たちの目の前で笑ってくれることのありがたさを噛み締めたいと思います。

流れることなく積み重なった20年の歳月を

 数年ぶりに開催された2002年の関西ジャニーズJr.大規模オーディション。 

そこで選ばれた少年たちを、後にある種の伝説となる舞台…Jr.黄金期が去り、まだ関ジャニ∞すら結成されておらず、事務所からも大多数のジャニーズファンからも完全に忘れ去られた存在となりその存続すら危ぶまれていた関ジュが、大阪松竹座で上演した『ANOTHER』で初めて目にした時。 

 

きらきらの輝きを放ってる子たちが入ってきた! 

 

私はこう思ったのでした。 

 

2002年なんて言うと最近関ジュを好きになった人からするときっと遠い昔の話。 

でも私の中では手を伸ばせばすぐに掴める、そんな想い出。 

色褪せることのない2002年の記憶の真ん中で笑っているのは、当時13歳だった濵田崇裕くんと12歳だった桐山照史くんの2人です。 

 

まっさらな白いシーツのような少年たちでした。 

頂点もどん底も見た既存の関ジュ、つまりそれは村上さんや横山さんといった後の∞メンバーですが、まだ若くして崖っぷちの立場に立たされた彼らの目の奥にあった暗い闘志のようなものとは全く無縁の。 

ひたすら明るく、まぶしく、そして繊細なガラス細工のような少年たちでした。 

 

そんな彼らの行く末などその時は知らず、ただただ光に溢れた少年たちの集団に惹き付けられて。 

そこから20年が経過した今日。 

私は、きらきらだった彼らの中の一人を応援し続けています。 

1年が経ち、2年3年が経ち、5年そして10年が経ち。 

ひと言では到底言い表せない、様々な出来事が関ジュには起こって。 

彼らが入所してから12年が経った2014年にジャニーズWESTが結成されてCDデビュー、そしてそこから早8年。 

2022年7月13日、今日で2002年のオーディ生たちは20周年を迎えました。 

 

流れることなく積み重なった20年の歳月を抱きしめながら。 

濵田崇裕くん、桐山照史くんに伝えたいのはこの言葉。

「20年間、ジャニーズに在籍してくれて、私の目の前から消えないでいてくれて、本当にありがとう」 

 

感謝ばかりの20年、そして次は奇跡みたいな25年がやって来ることを信じています。