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濵田崇裕さんのあれこれとか。X→@hamataka1219

私にとってのターニングポイント【ジャニーズWEST ラッキィィィィィィィ7 福岡24日1部】

ラキセコン@マリンメッセ福岡、24日1部公演のお話しをしたいと思います。
ただし、感動的な公演内容についてのレポではありません。
それは既にTwitterやBlog等でたくさんの方が語っておられるので不要ですよね。
このBlogは“私という一ファンが、どのように24日1部公演に臨んでどのように心が揺れ動いたか”の個人的記録です。
 
数日前から天気予報では「23日から24日にかけて九州地方を中心に数十年に一度の大雪」と繰り返されていて。
23日、地元を発つ時点ではうっすらと空は晴れていました。
この分だと福岡へ行くこと自体は問題はないだろう、しかし果たして24日は自宅へ帰るための交通機関は動いているのか?それ以前に23日夜から24日朝にかけて荒天となった場合に24日のコンサートは開催されるのか?などとぐるぐる考えながら旅行用バッグを抱えて新幹線に乗り込み。
行きは難なく福岡着、プチ観光もしてその後ラキセコン23日公演を楽しみ、そして公演後はお友達との飲み会で大いに盛り上がって。
夜11時過ぎに飲み会がお開きとなった時には空からひらひらと舞い落ちる白いものが積もり始め、空気は露出している部分の肌を切るように冷たくて「明日は一体どうなるの…」と暗澹たる思いでした。
 
24日朝、お友達と一緒に泊まっていたホテルのカーテンを恐る恐る開いてみるとそこは静まり返った銀色の世界。
交通至便な博多駅近くの宿、通常なら目前の道には多くの自動車が行き交っているはずなのに歩いている人以外の車両はほとんど見かけることがなく。
「これは…思った以上だ…、早めに行動しないと開演に間に合わない!」
お友達とホテルのお隣のカフェでモーニングセットをそそくさと食べ、マフラーや手袋で完全装備して駅前のマリンメッセ行きバスの列に並びました。
かなりの時間バスを待ちましたが、無事にバスに乗り込むことができてそれなりの時間に会場に到着。
後から知った話ですが、これはバスを運行している西鉄の社員の方々の「何とかバスや電車を市民のために走らせよう」という努力の賜物だったそうです。
もし西鉄が降雪を理由に運行していなければ、多数のジャニーズWESTのファンが駅前で難民となっていたことでしょう。
そういった一つ一つの好意が積み重なり、無事に24日の公演が開催されたのだと思います。
本当に感謝の念に堪えません。
 
会場に入ってはみたものの、客席には空席が目立ちました。
当たり前です、博多駅までの電車が雪で立ち往生して中で缶詰になっている人や、バスやタクシーに乗り込むことができず必死で徒歩で会場を目指している人が少なくなかったのですから。
何とか定刻までに会場入りできたファンにしても「急遽中止になったりはしないのだろうか」という心配事を抱えたままで。
開演時間が過ぎても延々と続く注意事項のアナウンスと歌なしのジャニーズWEST曲カラオケ音源、そしてそこで起こったのが『ファンによる大合唱』です。
“本人不在の誕生会”ならぬ“ジャニーズWEST不在のジャニーズWEST曲大合唱(それも振付込)”が起こったのです。
会場にいたファンが寒さと疲労と不安でみんなしてナチュラルハイになっていたからこその珍事だと思います。
だけど、あの時会場にいた私たちは至って真面目でした。
ある人は立ち上がって、ある人は座ったまま、普段は斜に構えているタイプの髪を巻いたギャルや綺麗なワンピースを身に纏ったOLさんたちまでもが本気で振付込のカラオケ大会を繰り広げるなんて。
そして私も。
10代メインのジャニーズWESTのファン層の中では肩身が狭い年齢ということもあり、普段はアンコール期待の手拍子くらいはしても声を出すなんて恥ずかしくて…というタイプのファンなのですが、この日ばかりは隣の席にいる同世代の友達と一緒に思わず粉もんを口ずさんでいました。
会場のファンがええじゃないかと粉もんをフルで歌い踊り、どこからともなく「歌い切った私たちGJ☆」とでもいうような拍手が沸き起こってそれに大笑いしたところで落ちる客電、スロットマシンから滑り落ちて登場するメンバー。
そこで重岡くんが叫んだのです、「みんなの声、聞こえてたぞぉーーーーーっ!」と。
続いて照史くんが「オマエらの歌聞こえてたぞ、オマエら最高やぁ!」と。
外は深々と降り積もる雪、だけどあの瞬間のマリンメッセ福岡は日本中で一番熱い場所となったのです。
 
そしてそれだけではなかった。
神山くんが挨拶の時に空席が目立つことに触れて「その人たちのためにも会場を盛り上げておきましょう!」と言葉にしてくれた。
淳太くんも「来られなかった人もいると思います、また絶対に福岡に戻ってくるから!」と言ってくれた。
この日、家族の反対でコンサートを諦めたり交通機関の乱れで時間までに辿り着けなかった人にも想いを馳せるジャニーズWESTメンバーは素敵だ、と素直に感じたのです。
 
私は所謂『虹色ジャスミン』ではありません。
濱田さんのデビューが決まるまで10年以上もの間、濱田さんが崖っぷちに立たされる度に何度も心が折れそうになりながらも「絶対に濱田さんはデビューするべき人だから。ここで辞めるわけにはいかない、彼のデビューを見届けるまでは意地でも担降りなんかしない!」と気持ちを奮い立たせて濱田担を名乗ってきました。
正直B.A.D.も7WESTも関西ジャニーズJr.の仲間だという意識ではなく、限られたデビューの椅子を奪い合うライバルだという考えしか持っていない期間が長かったのです。
それでも少年たちでの7人括り、その後の7人揃っての露出を見て「あぁ、この人たちが濱田さんと一緒にこの先テッペン目指していく人なのかもしれない」と思い始めていた。
「一緒にテッペン目指そう」と自担に笑いかけてくれた人はもういない、それでも新たな仲間ができたのならば今度こそ後悔なんてしないようにその人たちを私は精一杯応援していこうと思い始めていた。
その矢先に、あのカウコンでのジャニーズWEST4発表。
もう何も信じられないと思いました。
もう誰のことも信じないと決めました。
それから2年の月日が流れましたが、今でも私の心は凍り付いたままです。
東京ドームで4人(小瀧くんは年齢不足による観覧だったのでマイクを握っていたのは3人でしたけど)で歌ったええじゃないかは世界で一番嫌いな曲のまま、今でもコンサート会場でええじゃないかを楽しく歌うことは私には無理です。
唇を噛み締めてええじゃないかが終わるまで立ち尽くすことしかできない。
それでもマリンメッセ24日1部では、ステージ上で全開の笑顔を振りまきながらええじゃないかを歌うメンバーを優しい気持ちで見つめることができた。
一糸乱れぬ振付を披露する客席のファンたちのことも温かい眼差しで見守ることができた。
 
24日1部に生み出された、重岡くんの名言。
「忘れられないライブになる予感がしてます。これで俺らが返せへんかったら、男が廃るっていうか。アイドルが廃るっていうか!」
「生きてて良かったなって思う瞬間があるじゃないですか、それがまさに今日の幕が上がる前でした」
「俺たち、まだまだ上行きたいし行けるって思ってるから。これからもよろしくっ!」
これらの言葉、多分福岡に行く前の私なら張り巡らされている心のバリアが跳ね返してしまっていた気がします。
そんな私の心に何故か24日1部のこの重岡くんの挨拶はスッと忍び込んできた。
そしてこの人たちが7人で描いていく夢の形を自分も一緒に追いかけたい、微かにそう思った。
その訳は…。
ジャニーズWESTのメンバーと、雪にも負けずマリンメッセに辿り着いたファンが生み出した熱量によって、凍り付いた私の心がほんの少しだけ溶かされたからだと思います。
 
きっとマリンメッセでの24日1部公演は、頑なに『濱田担』だと名乗り続ける私にとってのターニングポイントになることでしょう。
この先「私はジャニーズWESTのファンです」と胸を張って自己紹介できる日が来るとすれば。
それは間違いなく、24日1部公演のお蔭だと思います。