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濵田崇裕さんのあれこれとか。X→@hamataka1219

Myojo 10000字ロングインタビュー 第43回 濱田崇裕(ジャニーズWEST) 感想

こんにちは。
今日、関西地区の本屋さんやコンビニ店頭には新しいMyojoが並びました。
先月のMyojoで『次回は、濱田崇裕が登場!』という予告を見てから一刻も早く読みたかった、だけど「どうせ期待したって本音なんか語りっこないやん、だって濱田やし…」と薄く笑いながら呟きもした、10000字ロングインタビュー第43回濱田崇裕。
期待半分不安半分で、朝の通勤経路にあるコンビニで手にしたMyojoの2014年11月号でしたが。

私なりに思ったことを、やっぱり今日という日に綴っておくことにします。


先月の照史の、まるで血を吐くようなトークとは正反対の、濱田崇裕のインタビュー記事。
一部の人はその表面上の、笑いっていうオブラートに包まれたソフトな語り口に騙されるかもね。
だけどさぁ、濱田さん、嘘つきな人だから。
「辛いときってめっちゃ笑うやん?」という濱田さんの桐濱クリパ12月2日の名言があったっけ。
そう、嘘つき濱田さんは辛いときには笑う人、辛い経験を語るときにも笑いに変えてしまう人。
そんな人がわざと笑いながら明るく語っている、そこに潜んでいる意味に気づかなければ、本当に濱田さんが言いたかったことは伝わらないだろうな…。

面倒臭いこと、しちゃってさ(苦笑)


インタビューはいきなり、カウントダウンコンサートでジャニーズWESTがデビューすることを、初詣の神社で、淳太からの「4人でデビューすることになりました」というグループLINEの文章で知るエピソードから始まります。
状況を把握できなくて、簡単に受け入れられなくて。
“世界中でひとりぼっちになったみたいな感覚”になった、参拝の順番になって“神様に何を祈ったらええんや?”って思った。
その時の彼の絶望感は、私たちになんて推し量れるものじゃないよね。

すごいのは、その少し後の流星からの電話。
「俺はなんとしても(ジャニーズWESTに)入るよ。濱ちゃんも、あきらめんなよ」
…これは。
2014年あけおめコンでのあの流星のハリネズミみたいな雰囲気を「そりゃあツインの片方だけデビューなんて言われたら、小瀧に冷静に向き合えへんよな。トゲトゲして当たり前やわ」なんて思ってた。
違ったね、ピンチに立ち向かって新たな道を切り開こうとしてる男の気迫っていうのかな?そういうやつだったのか。
見くびってて、ごめんなさい。
顔カッコよくて、人気あって、だから苦労知らずでここまで来た羨ましいJr.だから、初めての挫折で子供みたいに拗ねてるなんて思ってごめんなさい。

流星のお陰で、濱田さんも神ちゃんも諦めないというスイッチが入った。
そのことへの感謝を、次に流星をステージ上で見るときに、テレパシー飛ばして伝えたい。


Jr.入りのエピソードとかは、大体知ってることだったなぁ。
お姉ちゃんっ子の濱田さんが、お姉ちゃんの「弟をJr.に入れて、自分のお目当てのJr.に会いたい!」というよくある夢を背負ってJr.に入ったこと。
(このJr.ってきっと小○○貴くんだよね。ふふふふ)
いきなりBOYSに抜擢されて、そのラッキーさも何となく理解してて、それでも深く考えずに“とりあえず、続けとこう”くらいの感じだった時代のこと。
その裏に、BOYSが羨ましくて妬ましくて「絶対に俺もユニットに入ってやるねん」って足掻いたアキト少年がいて、だから今の桐山照史とB.A.D.があるというこの事実。
ふわふわしてたダメダメなタカヒロ少年よありがとう!だよマジで(笑)

そこから、惰性でJr.を続けていた時代について。
照史が起こした、関西Jr.の転機について。
NYCのデビュー、キスマイのデビューについて。
そんなことを色々と語って。

あの、2011年のエピソードへと。


メンバーがドンドンやめていって、という言葉で誤魔化された、あの事件。
「まわりのほうが動揺してたというか、何も言ってないのに“濱田、やめるってよ”とか噂が広まって。河合(郁人)くんに、“ホントにやめんの?”って聞かれましたからね」
…そりゃあね、現役の有名Jr.が起こしたあの事件。
その有名Jr.のシンメである濱田さんがそのままJr.活動を続けられるのか?って。
誰だって、Jr.だって、あのふみきゅんだって、もちろんファンの私たちだって思ってしまうのが当たり前で。

でも、私たちファンの側の、そういうブレてる気持ちが濱田さん本人にも伝わってた。
「ファンのコに変に気をつかわれて、やさしくされたんですね。“私は、ついてくからね!”みたいな。」
「いやいやいや、誰もやめる言ってへんし。やる気満々やし(笑)。」
「ありがたかったんです。でも、気をつかわせてしまった。だからデビューして、安心してもらいたいなって」

濱田担が、一番追い詰められてるはずの当の本人に反対に心配されるって。
どうなのよ。
安心してもらいたいなって、そんなこと濱田さんに思わせるなんて。
どうなのよ。
あのとき、私たちは不安で不安で仕方なくて、たった一人で広いステージに立ってGIVE MEを歌う濱田さんを見て嗚咽を漏らしてた。
そんな濱田担の態度が今となっては情けない。
あの、ステージで大きく息を吸い込んで、ナナメ上の何もない空間をキッと睨んで。
GIVE MEを見事に歌い上げた、あの日の濱田さんに。
ごめんなさい、ごめんなさいと、心から謝りたいです。

“なくなって気づく大切なものってあるよ”という、言葉。
その言葉は、間違いなく、あいつのことを語ったもので。
オーディションで隣同士で、その時にペアを組んでからずっとずっとシンメで、ダンスの相性良くて、声の相性もぴったりで、だから一緒にてっぺん目指そうぜ!って笑いあっていた、そんな唯一無二の相方を失って。
「ひとりじゃ、なんにもできひん。」
「それまでは、ミスしても、笑いに変えてくれた人が隣にいた。」
それに、やっと濱田さんが気づいて。

「だから、もし近すぎて、その価値がわかりづらくなっている人がいるなら、改めてどれだけ大切な存在なのか見つめなおしてほしいし」
「その気持ちを本人に伝えてほしいって思います」
…深いね。

泣いたよ。
泣きじゃくったよ、私。
私が一番濱田担として楽しかった、幸せだった、あの頃のこと。
だけどあの事件があってから、蓋をして心の隅っこへと追いやっていた記憶。
やっとやっと、昇華させられる。
濱田さんからプレゼントされた、言葉で。


次は、2013年の直談判エピソード。
社長の家に泊まったときに、照史・淳太・濱田の3人で「デビューしたいねん!」とお願いした。
しまいには照史が泣き落としにかかったっていうのがリアリティーありすぎて。
「このままじゃ食っていかれへんねん」って、これさぁ~。
カッコ悪い、なんて誰も言えないよね、絶対。
全員がもう20代半ばで、周りはちゃんと大学卒業して就職して会社に居場所があったり、手に職つけてる人は独立を考えてたり、もしかすると結婚して子供が産まれたりする友達がいたりして。
そんな年代の男3人の、切実すぎる、叫び。
痛い、痛い、痛い。

それで。
「いっしょにやってきたコたちがやめんなら、僕もやめようと思ってましたね」
「自分から望んで入った世界でもないのに。でも、この世界で、僕が何か手にしたものがあるなら、それはまちがいなく仲間なんです」
「誰かが欠けたら、俺は続けてくのムリやなって」
そうだね。
失ってしまったあいつはもう戻らないから、あいつと同じくらい大事だと思えるものがもし万が一欠けてしまうのであれば、もうジャニーズに居続ける意味なんてないって考えるのは仕方ないよね。

このメンバーだから。
そう思えるものを自分の手に掴み取って、なのに。
あのカウントダウンコンサート…。


次の日のあけおめコンのリハとコン当日のエピソード。
リハでひとり立ちすくんで。
「リハ抜け出して裏口から外に出てって。なんか地獄でしたね」
そこからの、あけおめコン当日。
「絶対に泣かないって決めてステージに立ったんです。でも、ファンのコが泣いてるのが見えて…。」
「俺の歌で、どんだけ届くかわかんない。それでも、“俺はまだ自分を信じてるよ”って想いを曲に乗せて歌って……」
うん、届いたよ。
私たちの胸に、しっかり届いてたよ。
大阪城ホールの天井席にいた自分、ステージはものすごく遠くて、だけど確実に、届いた。
濱田さんの想いが。
だから私たち濱田担は、濱田さんが夢を追うのを応援し続ける!って決めたんだから。

コンサートの後の仕事がなくて、4人が日生劇場で舞台をするけど、どうする?って聞かれて「出たいです!」って言った濱田さん。
4人の、3人追加への働きかけがなかなか実らなくて、しげに。
「いろいろ動いてくれてるとるらしいな、ありがとな。でも、もうムリやろ。俺、別の道探すわ」
そう告げた濱田さんに、100%入れないとは思わなくていいと思います、と真剣な顔で告げたしげ。
この言葉を聞いて“どんな結果が出ても受け入れよう”“こんな素敵な仲間が、俺たちのために懸命に動いてくれた。”“……悔いはない、って”と思ったんだね。
正直このあたりのことは、ファンには理解できない部分です。
当事者であるメンバーだけしか、本当の奥底の部分はわからない。
ファンがどれだけ必死に踏み込もうとしたって無理な場所というのは間違いなくあって、それは彼らの絆が生み出した場所で。

風向きが変わり、『なにわ侍』の構成を聞いて3人がメンバーに入れるかもしれないと濱田さんは思って。
現実にリンクしていて、たくさんの観客が涙していた『なにわ侍』の最後のシーンはセリフではなく、本当の素の気持ちをアドリブで言っていた。
照史が半泣きで「濱ちゃんが必要や!」と言い、しげが「これで勢揃いやな!」と言って。
涙のたまったみんなの目を見て“この7人で、本当に、本当によかったなって”そう思えた濱田さん。

うん、よかったね。
失ったあいつより、もっと大切な仲間ができて、その人たちとこの先も歩いていけることになって。
よかったね…。

実は歌もダンスも演技も得意で、タレントとしてのポテンシャルが高い濱田さんが何故かジャニーズWESTでは縁の下の力持ちでいるのを好しとしていることを、私は常々不満に思っていたんだけど。
少しだけ、わかった気がする。
この7人でいることが大事だと思っているから、7人でいられるのであれば自分は何だってやる。
道化になることだって厭わない。
そう強く思っているからこその、“ジャニーズWESTのお笑い担当:濱田崇裕”なのかなぁ、って。
それが正しい在り方なのかどうかを決めるのは、濱田さん本人なんだから。
ただのファンでしかない私がとやかく言うことではなくて。
彼の歩んでいく道を見守ること、それが私ができるたった一つのことなんだな、って。
そんなことを考えて、ふうっと溜息をつきました。


そしてラストは、今後の展望について。
「演技面をしっかり磨いて、誰もできないような役を30才超えたくらいでやりたい」
「新しい時代を、新しい分野を、この7人で切り開いていきたい」
キラキラしてる、大きな大きな夢。
そんな夢を淡々と、落ち着いたトーンで語ることができるポジションにいる濱田崇裕という人は今、きっとものすごく幸せなんだろうね。
「辛いときってめっちゃ笑うやん?」と言う人が、笑いでお茶を濁したりしないで真剣に未来の夢を語る。
それは、幸せだという証拠だよね。

4人でのデビューを知らされた初詣で、どんどんどんどん気分が落ち込む中で引いたおみくじの大吉は間違いじゃなかった。
「願い事ってとこに“待てばかなう”と書いてあったんです。すごいでしょ!?」
「でも、待つのはもうしんどいんで、これからは、自分から夢に向かって走ってこうって思います」
「この7人でいっしょに」

メンバーが自分のことを指して「濱ちゃんが必要や!」と叫んでくれる、幸せ。
その幸せをぎゅっと抱きしめて、その幸せをパワーへと変えて濱田さんは、5年10年先の夢に向かって走っていくんだなって。
それがわかった濱田さんの10000字ロングインタビューでした。


まだまだたくさん、語っていないことがあるよね。
語れないことだらけ、それが濱田さんのJr.人生だもん。
でも、もう過去は振り返らなくてもいいのかもしれない。

大事なのは、“これから”なんだから。