はぴはぴかむかむ

濵田崇裕さんのあれこれとか。X→@hamataka1219

なにわ侍千秋楽を終えて。

お久しぶりです。
月に1回未満しか更新しないこのBlogに存在意義ってあるのかな?と最近は考えていたのですが。
本当の意味での『日記』として自分の想いを書き残しておく、そういった使い方もできるんだなーと思ったので。
今回は超個人的な“チラシの裏の落書き的日記”として記事を更新してみます。

身近なお友達なら、めでたくジャニーズWESTとして濱田さんのCDデビューが決まったにも関わらず私のテンションがあまりにも低いことに首を傾げていることかと。
なにわ侍千秋楽を終えて、そして今日松竹座で関西ジャニーズJr.が新体制となって、つらつら考えて。
「あ、そっか…」とテンションの低さの原因にやっと気付いたんです。

私の中ではまだ、12月31日から1月1日にかけてのカウコンショックが現在進行形で続いているからか。
自分の情報収集能力をフルに発揮して、諦めかけて、それでも「もしかしたら」ってすぐにカウコンに飛べる全ての手段を実は完璧に整えていて。
だけどやっぱり当日になって、手数料払って交通手段やら何やらを泣きながらキャンセルして。
カウコン中継が始まる時間、どん底の気分でテレビの前で座ってた。
放送終了中、あの4人が画面に映し出される度にキリキリ胃が痛くて。
ジャニーズWEST4の発表の瞬間には本気で吐きそうになって。
そんな12月31日から1月1日でした。

あけおめコンを自分の目で見て、その結果1月はひたすらSHARKに逃げて。
だけど、どうも1月の途中から雲行きが変わってきた。
一縷の望みを抱いて、また情報かき集めて。
アイドル誌の掲載情報とかなにわ侍グッズ情報とかに翻弄されつつも、最後の希望に縋りついて。
きっと2月には日生劇場で濱田さんの姿を見られるって自分の中で確証が持てるようになって、それに関する発表はきっと2月日生千秋楽に違いないって踏んで。
なにわ侍初日の2月5日、本当はものすごーく日生に行きたかったんだよ。
だけど自分がメインで発表しなければならない会議がその日にあって、いい年した社会人としては仕事を投げ出すわけにもいかなくて。
プライベートな事情もあって。
「仕方ない、初日は諦めよう。その分千秋楽に期待しよう」って気持ちを整理して。

そうしたら、ジャニーズWESTは7人体制でデビューすると初日に発表。

本気で絶望した。

勝手に、そう勝手にだけど。
「濱田崇裕がデビューをファンの前で表明するその瞬間、絶対に自分は彼と同じ場所にいるはずだ」ってずっと信じてた。
それは私にとって当然の権利で。
だけど結果的には、家で置いてけぼりになってる自分が、そこにいた。

絶望するしか、ないよね。

淡々と、雑誌社や芸能リポーターやそして日生にいた幸せな人たちが落とすツイートをRTし続けて。
今思うと頭の中が真っ白になってて、黙ってRTする以外に何もできなかったんだと思います。

多分ね、長い長い12月31日を終わらせることができる手段があるとしたら、日生初日に客席の最後列の隅っこでもいいからその場に私がいることだけだったんです。
仕事が休めなかったのは私の個人的事情。
事務所やタレント様は私の事情なんて知ったこっちゃなくて、誰だって色々な都合がある中でなにわ侍初日に日生に駆け付けて感動的瞬間に立ち会えたファンの人はその人の判断が正しかったということで。
悪いのは私、私なんだけど。

今は、私にできる範囲で精一杯濱田崇裕を応援してきた全ての年月が全否定された気分です。
デビュー発表のその時はもう二度と戻ってこない。
取り返しがつかない。
だからもう、ただただ泣くしかないんだけど。
私のこれまでって何だったんだろう、無駄でしかなかったのかな。
そうとしか思えない。
これは、どんな身近な友達に何を言われたって私の気持ちの整理がつかない限りは変わらない想いです。

せめて、なにわ侍千秋楽に何らかのコメントとかがあったら、ね。
少しは解決の糸口が見つかったかもしれないけど。
実際は千秋楽公演は何の発表もなくサラッとしたもので。
カーテンコールで濱田さんから心に響く特別な挨拶があったわけでもなく。

やっぱり、まだ私の中では12月31日が終わってない。
もうカレンダーは3月になっているのにね。

あまりにも大人としては情けない、まるで駄々っ子が暴れてるみたいな自分の心中から目を逸らしていたけど。
どうやらそういったことみたいです。
馬鹿みたいなんだけど、自分でもどうしようもなくって。
「あぁ、あの時はそんなつまんないことで悩んでいたんだな」ってこの日記を数年後に読んで笑い飛ばせるようになっていればいいんだけどな。
そう、願います。